当たり前とは

当たり前ってこんなに簡単に崩れてしまうのか、と改めて気付かされた。

 

少し前までは、電車に乗って学校に行くこと、人と向かい合って話しながらご飯を食べること、海外旅行にいくこと、アーティストのコンサートがに行けること、、、、は当たり前で、次があるから今回はまあいっか、なんて思うこともたくさんあった。だけど今は、そんなに簡単にその次は来ない。この状況になって、当たり前は簡単に崩れてしまうことがあるっていうことがよくわかったと思う。

それはコロナだけじゃなくて、とても多くのことに言えることだと思う。例えば、少し前までは、ランドセルは黒か赤だけだったし、ケータイはメールと電話をするものだったし、、、

もっと短期的なもので言うと、「流行」もそういうものだと思う。

そして長期的なことでいうと、政治的なことや宗教的なことになるんじゃないかな、、、

 

戦争について考えるとして、今現在、一般的には戦争はするべきではないと考えられているけれど、その当時はそれが正義であり、絶対だったのだろう。だからこそ、その時代に生きた人は、疑うこともなくて、それが当たり前なんだろう。社会主義が正義の時代があり、資本主義が正義の時代がある。その時代、その場所、その瞬間では、そう信じられていたけれど、それが見直され、新しい考え方になった時、古い考えは「当たり前」から消え去る。

 

当たり前って私たちを良くも悪くも麻痺させるし、それに気づきにくいということがほとんどだけれど、このような世界中で大きな事態となったコロナウィルスを経験する中で、当たり前について気づくことができたから、この機会に、当たり前を見直して大切に過ごしていきたいと思う。